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秀明自然農法
地上に天国を創造する農法

岩手県盛岡市: 高橋好徳
農家の人たちも消費者の人たちも、お互いに義務感からこのCSAを作り始めました。けれども、やがて、大地が呼び起こすロマンと作物の持つ驚くべき力は、彼らの心をがっちりととらえたのです。

道のりは険しかったけれど、成果は驚くべきものでした。秀明の盛岡センターの人たちは、たまたま農業の世界に入り込んでしまったのですが、農家として活動するうちに作物を育てるという彼ら自身の純粋な喜びと、消費者の要求とがうまく釣り合うようにすることを学びました。また彼らを支援する消費者たちは、彼らが作る作物の持つ癒しの力を知り、農家の果たす役割に深い尊敬の念を抱くようになりました。さらに、農家が自分の土地の一部を消費者に貸し、消費者が家族で自分たちの食べる作物を栽培できるよう、手助けをするまでの変貌を遂げました。

リサ・M.ハミルトン 2004年6月14日配信

編集者記:

日本で秀明自然農法を取材した連載記事―「地上に天国を創造する農法」を始めるに当たって、カリフォルニアのジャーナリスト兼美術カメラマン、リサ・M.ハミルトンは、その理解の前提となる日本の歴史的文化的背景を、3話にうまくまとめてくれました。(このシリーズの第1話をご覧になりたい方は、ここをクリックしてください。)

このシリーズではハミルトン記者は6軒の秀明自然農法に取り組む農家を訪問しました。シリーズ第4話と5話では、室田禮冶さんが取り上げられました。室田さんは探究心旺盛な男性で、黄島に島に繰り広がる自然界に農業体系を組み込もうと深い思索を巡らしています。シリーズ第6話は福岡県の樽海靖夫さん、第7話で3人目として紹介するのは兵庫県の中安伸明さん、第8話は千葉県の吉野修さんについての記事でした。吉野さんは化学農法を行う近隣農家の多い地域で2ヘクタールの圃場で秀明自然農法を実施しています。第9話は群馬県に住む66歳の女性、黒岩トキさんの話で、嬬恋の広大なキャベツ畑の真っ直中で、元気一杯に秀明自然農法を貫くトキさんの姿を伝えています。

シリーズの最後を締めくくる第10話の農場訪問記では、本州最北部の岩手県盛岡市にあるCSAが、どのようにして誕生し、その変貌を遂げていったのかを描きます。(盛岡市は、下の地図をご覧下さい。また、連載中の各農場が日本の何処にあるか見たい方は、ここをクリック してください)。

1990年代の初頭、秀明の指導者たちが、現代というこの時代の中で、創始者岡田茂吉氏の教える自然農法を再興すべく力を入れ始めた時、高橋好徳さんはその呼びかけに応じ、それまでの会社勤めをきっぱりと辞め、農業を始めました。高橋さんは先輩農家から農業を学び、それから突然、生産と販売の両面で皆を先導していかなければならない立場となりました。

農家ではない秀明の一女性が、生産・販売の両面で苦境にあえぐ地元秀明の農家をなんとかして助けたい、そして、成功させてあげるには何かをしなければいけない、と思った時初めて、この精神的な団体に所属する消費者が結集しました。彼らは一種の地域支援型農業(CSA)を推進するグループを結成し、秀明の消費者と生産農家との間に人間的な結びつき――最終的には、相互に信頼し合える関係――というものを築くことに成功したのです。


著者紹介
リサ・M.ハミルトン

カリフォルニア在住のジャーナリスト兼美術カメラマン。彼女の記事と写真は、「ナショナル・ジオグラフィック・トラベラー(世界各地を巡る旅)」、「ガストロノミカ(美食家)」、「Zマガジン」や「ヒューマニスト(人道主義者)」といったアメリカ国内の出版物やウェブサイトに掲載されており、読者を魅了してきました。彼女は、芸術、娯楽、環境問題の各分野にわたって刊行物、ウェブ上いずれにおいても、編集、執筆、制作を手がけてています。また、彼女は傑出した農業ジャーナリストで、カリフォルニア認定オーガニック農家(CCOF)のニュースレターに連載中のカリフォルニア特産物についての彼女の記事は有名で、読者の好評を博しています。

食べ物の味
土の柔らかさ

主婦の田ノ岡美代子さんは、自分自身感動したという体験を幾つか語ってくれます。田ノ岡さんも、他の人たちと同じように何もわからないまま盲信的な想いから秀明自然農法を始めました。ですから、見慣れない食べ物に出会うと料理法がわからず困ってしまうような状態でした。最初は秀明自然農法の食事を摂ることによって、重度の食物アレルギーがいかに悪化することなく収まってしまうかを知って感激しました。それより、田ノ岡さんを心から動かしたものは、秀明自然農法でできた作物の味そのものでした。「私は味覚というものを失っていました。でも、それを取り戻した今、もう以前のような目で食物を見ることはありません。」と田ノ岡さんは語ります。

田ノ岡さんは自分以外のことでも、何かと違いに気づくようになりました。自分が食べている秀明自然農法の作物がどんな所で作られるのかを知った今、以前の食生活を考えてぞっとしました。近所の慣行農家の圃場は、昆虫は全く姿を消してしまい、生息するのはヒルだけで、車道で死んでいるカエルを時折見かける以外、どこにも動物のいない世界であったことに気づきました。でも、秀明自然農法の手伝いに初めて田んぼへ入って触れたその土は、それまでに触れてきた圃場のように冷たくて固いものではなく、柔らかくて暖かい土でした。そういう田んぼこそ、田ノ岡さんがそこに身を置きたいと思うような場所だったのです。

スライドショー: 地上に天国を創造する農法
秀明自然農法が織りなす美の世界

高橋好徳さんが農業を始めた当初、彼にはこんな風にやっていこう、という考えがあったわけではありません。ただ、どうしても農業をしなければならない、という思いがあっただけでした。

高橋さんは、電気技術士として盛岡のタバコ会社に勤務していました。盛岡は本州最北部の山間地域に位置する都市です。1990年代初頭、教えの中で、最も重要なものでありながら、(当時は)忘れられがちだった、創始者岡田茂吉氏の提唱する農法に従って作物を作るというものに取り組むようにとの秀明の指導者たちから呼びかけがあり、高橋さんもそれを耳にしました。

それまで自然農法というものは、秀明に所属する人たちにとって、おおよそのところでは理論としての存在にすぎず、彼らの食と農に対する姿勢が世間一般の人々と違っているようには見えませんでした。

高橋さんは、会社勤めのかたわら、地元で最初に秀明自然農法を始めた坂田正光さんの圃場を手伝うようになりました。農作業がもたらすはっきりと目に見える効果の数々を体験するうちに、秀明自然農法に専心したいという気持ちが決定的となっていきました。彼は、前の仕事をしている時に患った肋間神経痛に苦しんでいましたが、秀明自然農法による作物を栽培し、それを食べることによって、健康を回復していきました。

また同じころに、高橋さんは慢性の病気を患った子供を近くで見守っていました。その子供は何ヶ月も流動食しか喉を通らなかったのですが、秀明自然農法で栽培されたお米なら食べることができたのです。高橋さんは、骨と皮のようにやせ細った子供の体に力が戻る様子を目の当たりにして、農業に身を捧げたいという強い衝動にかられました。

坂田さんが農業の継続を断念することになった時、高橋さんはそのまま2ヘクタールの農地を引き継いで、専業農家となりました。この地域では土地は大変に貴重ですし、競争相手が増えることになるため、地主農家は新参者に土地を貸すのをとても嫌がります。そういう事情もあって、高橋さんが農地を引き継いだすぐ後に、坂田さんの家族が土地の返還を要求してきた時は、もうだめかと思われました。しかし、新米農家はそれであきらめたりしませんでした。秀明の地元センターの人たちに呼びかけ、別に2ヘクタールの土地を見つけることができたのです。そして、お金を借り、退職金をつぎ込んで、ついに自分の農場を持つに至ったのです。

ところが、最初の感激が冷めてくると、自分が農家として生き残れるかどうかはいまや消費者にかかっていることに気づきました。彼の作物は慣行農法とは異なるやり方、つまり秀明自然農法 で育てられているので、秀明の外部に販売の道をつくることは困難でした。当時の高橋さんの収入源と言えば、作物を秀明の盛岡のセンターに届けてそこに置いておき、誰かが足を止めて買ってくれる――ただそれだけを期待するというものでした。

作る人が何人もいて、買う人が何人もいるのに、
野菜はその狭間で腐っていく

時を同じくして、地元地域で他に8名が秀明自然農法実施への呼びかけに鼓舞され、農業を兼業で始めていました。数の強みで消費者の目を引くに足る十分な量の作物ができたのですが、それは同時に、限られた市場で相互に競争が生じることをも意味しました。というのは、秀明に所属する人たちは指示に素直に従って農家を支援する姿勢はあったのですが、当時はまだ、心底から農家を支援するほどには至っていなかったのです。秀明の人たちはセンターへ立ち寄った際はいつも野菜を買っていたのですが、時として野菜を買う人が買わない人より少なくなることもありました。週によっては、売れ残った野菜を回収しに来るようにと呼ばれることも彼ら農家にはありました。手付かずのまま野菜が、彼らが届けに来て置いておいたのと全く同じ場所で腐っていました。。

兼業で農業をしている人たちには、大した痛手とはならなかったのですが、専業の高橋さんはそんな不安定な収入ではやっていけませんでした。前に勤めていたタバコ会社の友人で、また秀明の仲間でもある佐々木雅恵さんは、高橋さんの窮状に見かねて、助けようと固く決心しました。高橋さんが農業を始めた時と同様、はっきりした考えがあって「助けよう」と思った訳ではなく、「助けなければ」というひたむきな想いがあっただけなのです。

千葉で成功した地域支援農業(CSA: 地域の人々が一体となって農家を支援する活動) をお手本にして、佐々木さんはざっと100名の会員を集め、「おやさい倶楽部」と名づけた会員制グループを結成しました。会員は月々500円の会費を納め、その上で毎週届けられる作物の代金を農家に支払いました。さらに、佐々木さんは農家と消費者会員からなる運営委員会を開きました。そして1年後、会の活動が一応順調に経過したと思われる時点で、これまでの活動を評価するためにアンケート調査を行いました。

怒涛のごとく返ってきた匿名の回答を見ると、佐々木さんが思っていたほどうまくはいっていない実情が明らかになりました。会員の誰もが秀明自然農法の理想に心を傾けていましたが、嗜好がすでにスーパーマーケットの食品に慣らされてしまっているのをどうすることもできなかったのです。会員たちは、届けられる野菜の見た目の悪さや、また種類や量が季節の制約を受けることに失望していました。問題はそれだけではありません。食べる切れる量をはるかに越えた野菜が届き、なかでも、なじみの薄い野菜の多くは料理の仕方さえわからず悩みの種となっていました。

「作物一つとっても、それを大地になじませて育ててあげることがどんなに難しいか、やっと理解できたのです。それが分かると、スーパーマーケットによって慣らされたものの見方や考え方が抜けてきます。」

運営委員会は事態の改善に乗り出ましたが、ただ一点、これだけは変えてはいけないと分かっていたことがありました。それは、会員は秀明自然農法の野菜を食べ続けなければならないということ、そして、それこそがおやさい倶楽部の取り組みがうまくいくための唯一の方法だったのです。次に彼らが試みた改革の焦点は、消費者の要求に譲歩することではなく、消費者がこの活動を嫌がっている要因――見た目が悪い、季節の制約を受ける、量が多すぎる、料理法が分からない――といった要因に消費者をいかに引き寄せるかということでした。

その第一段階は、佐々木さん自身の体験に基づくものでした。他の会員と同様、彼女は作物の生産についてはっきりとした認識や理解もないままにCSAを発足させたのですが、農家を訪ね、圃場に足を運んで農作業を共にすることによって、ものの見方が変わったのです。「畑仕事がどんなにきついか、わかりました。」と彼女は言います。「作物一つとっても、それを大地になじませて育ててあげることがどんなに難しいか、やっと理解できたのです。それが分かると、スーパーマーケットによって慣らされたものの見方や考え方が抜けてきます。」

料理の仕方も分からない野菜に消費者がなじむようにする

運営委員会は、消費者会員が圃場に足を運び、自らの体験で学ぶように奨励しました。それから、圃場に行って実地の学びを得た会員たちを調理場へと送り込みました。そして、料理教室を企画して、農家が生産した作物の最後の一かけらまでうまく利用できるような調理法を教えました。その教室で会員たちは、例えば熟れすぎてフニャフニャになったトマトの利用法として、トマトジュースの作り方を学びました。また獲れすぎて萎びたニンジンで、ゼリーの作り方も習いました。そして彼らは、収穫の季節になって山のように届けられる大根を、どう工夫すれば日々目新しい一品になるのか、あるいはなじみの薄い「山のもの」(どうやって料理したらいのか見当のつかない根、芽、葉)を、実に食欲をそそるような料理にできる方法を工夫し、それをやってみせたのです。

最終段階として、運営委員会は、各々の会員が別々に学んだ事すべてを一つにまとめ、共通体験としておやさい倶楽部全体に還元することを試みました。そして年に2回、生産農家の人たちと消費者会員とが集い合って、食に関するお互いの体験を持ち寄って共有しました――考え方はどう変わったのか、生活はどう改善されたのか、心身はどう癒されたのか、といったことを。この取り組みはおやさい倶楽部の伝統として今でも続いています。

1999年には、状況はずっとよくなっていました。季節に順応した食生活への理解がいっそう明確になっていたので、消費者はそうした食生活に満足していたのです。さらに、秀明自然農法のものを食べ続けることによる恩恵を数年にわたって享受し続けてきた結果、秀明自然農法で栽培された食物を食べることによる身体への素晴しい効果を知ることができました。もはや彼らの熱意と献身は揺るぎなきものとなっていました。

しかしたった一つだけ 未解決の問題が残っていました。依然として、高橋さんには生計の目途が立っていなかったのです。

この苦境を乗り切るためには、消費者にもっとたくさん買ってもらうか、あるいはもっと高い値段で買ってもらうか、そのどちらかが必要でした。しかし、消費者の実情はと言うと、家計の面でも実際的な協力の面でも、パンク寸前まできていたのです。届けられる農作物が時として売り物にするには見劣りがするようなものであっても受け入れ、また、それまで同様食べられる限りの量を買い続けていました。彼らの財政状態は、もはや値上げには対応できなかったのです。

双方が、もはやこれ以上は一歩も歩み寄れない、というところまできていました。

運営委員会はこの問題を検討するうち、秀明自然農法の農家(10名が兼業で、1名が専業)が生産している作物の量は、盛岡の会員が食べることのできる量を遥かに上回っていることに気づきました。高橋さんは、余った野菜を東京エリアのCSAに送ることさえしており、そのことは出荷先エリアで既に地元の消費者と提携している農家との間にややこしい問題を引き起こしていました。

初期の段階に、盛岡CSAでは、作物がゼロの状態から一気に消費者が受け取ることができる精一杯の量まで生産される程になっていました。農家の奔放な情熱の赴くままに作物が生産されたからです。農家の人たちは秀明自然農法を実施したいという精神に駆られて、よく育つものなら何でも、穫れるだけいくらでも栽培したのです。しかしながら、会員制グループが成熟期に入った段階では、通常の農業生産と同じように生産管理というものが必要な状況になってきたのです。

「おやさい倶楽部」の主導でチャンスを広げる

運営委員会は、誰が、何を、どのくらい、そしていつ作るのか、といったことに関して指揮を執り始めました。普通、部外者からそのように管理されることは、秀明自然農法以外の農家なら、ちょっと口にしただけでも気分を逆なでしてしまいます。けれども、秀明自然農法を実施する農家にとって農業とは、職業の一つというよりは、むしろ精神的な活動という意味合いの方が強かったのです。さらに、秀明の農家の役割は、各々独立したビジネスを展開する個人ではなく、おやさい倶楽部の中の一同志として活動することでした。ですから、おやさい倶楽部全体として農作物の生産計画を立てるというのは理に適っていました。ひょっとしたら、運営委員会が中心となって農業運営の指揮を執れば、無駄が減少し、利益の増加に繋がることだってあるかもしれません。

秀明自然農法を実施する農家にとって農業とは、職業の一つというよりは、むしろ精神的な活動という意味合いの方が強く . . . 秀明の農家の役割は、各々独立したビジネスを展開する個人ではなく、おやさい倶楽部の中の一同志として活動することでした。

おやさい倶楽部が組織的に活動するようになると、運営委員会は食品加工に乗り出すことができるようになりました。その結果は、農家にとっては市場拡大に繋がったのです。委員会は、豆腐と味噌を作って会員に販売できるように、大豆の増産を指示しました。また、干し芋やその他の加工品の作り方を研究しました。秀明自然農法により栽培された大豆を原料として醤油を醸造できるような工場さえも見つけました。するといきなり、生産農家の売り上げは、東北における栽培可能期間の6カ月で得られる売り上げを優に越えて伸びていきました。

その頃、圃場でも同様に一つの変化が起こっていました。体調を崩して作業のできない農家が何人も出ると、いつの間にか、消費者がその圃場の世話に来ていたのです。高橋さんや他の人たちは、今まで一番欠けていたものが何だったのかに気づきました。それは、お互いへの信頼でした。それ以前は、なるほど立派な考えに基づいて行動していたにせよ、皆、各々バラバラに行動しており、皆が一体となって動くおやさい倶楽部全体としての活動ではありませんでした。彼らは心では会の理念に傾倒していたのですが、行動の方は旧来のあり方にとらわれて、動きが取れなくなっていたのです。

こうしたことに気づくことは、21世紀への変わり目の経済不況に対応していく上で、極めて重要でした。消費者会員たちが家計を補うために副業を持つようになると、圃場に出向いて奉仕で手伝いをする時間はなくなっていきました。案の定、高橋さんも、圃場の作付けを野菜からもっと手間のかからない穀物へと、一部転換せざるを得なくなりました。ところが、次の段階では、全く予想もしないことが起こったのです。消費者会員たちは、余裕がないという理由で農作業から離れていくどころか、むしろもっと親しみをもって農作業に接することを選びました。彼らは、自らの手で自らの食べる作物を育てられるようにと、圃場の一部を借り始めたのです。

まずは、お世話が毎日でなかったとしても育てていけるお米の栽培から始まりました。自らの手で稲を育てることは決して安く付くわけではありません。ただ自分たちの圃場であればこそ、そこに足を運ぼうという想いになる、ということが分かったのです。――そして、彼らは農作業をするための時間を作りました。

発展していくCSAの役割

おやさい倶楽部の副会長である長谷川みつ子さんは家族と共に、高橋さんの農場から4アールを借りて米作りを始めました。長谷川さんの主人も最初は乗り気ではなかったのですが、次第に熱が入って夢中になり、米作りに加えて、野菜畑を始めるまでになりました。長谷川家の子供たちにとって田んぼは一つの遊び場となり、子供たちが元気いっぱいに遊ぶ姿に、長谷川さんは本当に喜びました。田んぼは、子供たちにとって安全な居場所であるばかりでなく、大地との関係や大地が生み出す食べ物との関係を子供たちが自分で見いだし、それに対する感性を育んでいける場所だったからです。

このような方法で人と食物とを結び付けることが、時が経っても持続的な効果を発揮する教育となるのです。つまり、今季は各家庭で食べるものが変わり、来季は食べ物となる作物を自分で育てる方法を覚え、そして年々時を経るごとに食のとらえ方が変貌していく、そういったことを目指しているのです。

「今では、息子が遊びに出る時は、お昼のお弁当に自分でおにぎりを作り、それを持って出かけます。具は何も入れない、ただの塩にぎりですよ。」と長谷川さんは話します。「驚いたことに、どこにでも脂っこいファーストフードが出回っているのに、今では、ご飯のおいしさを味わうだけで満足するようになったのです。息子は、お米の味っていうのが分かるんでしょうね。」

今では長谷川さん一家は、CSAで流通する作物よりも自分の菜園や田んぼで栽培する作物でまかなう 方が多くなっており、他にもそういう会員たちはたくさんいます。実際会員の中には、自分の食べる作物を全部自分の手で栽培できるようになって、完全におやさい倶楽部をやめてしまった人もいます。新規会員の加入は今でも続いていますが、CSAの位置づけは結局のところ下がりつつあります。しかし、高橋さんの奥さんである絹子さんに言わせると、それは「決して悪いことではない」のです。

絹子さんが言うには、「私たちのおやさい倶楽部はいつも、『CSAを作ろう』ということより『食物との関わり方について、どういう形にしていこうか?』ということの方に関心を抱いてきたのです。この場合、もっぱら専業農家が食物を会員に供給するという形をとることが、必ずしも最善策ではありません。むしろ最善策というのは、自然に発展して次の段階に移っていくものなのです。もっとはっきり言うなら、学校のようなものですね。世間一般の人たちが学年を順々に進級していって、いずれ卒業していくようなものです。」

今でも多くの農家がCSAの消費者会員のために作物を栽培していますが、中には新たな教育の必要性を見いだし、それを実行する活動に移行した農家もいます。

清水義輝さんは、以前は兼業農家でしたが、今では農園を経営し、そこで広く秀明内外の人たちを対象に、作物の育て方を教える活動を展開しています。学校から一日体験学習を受けに生徒たちが団体でやってきますが、菜園の運営は、全シーズンを通して、この活動に参加している数家族の人たちが行います。彼らは清水さんを交え、何を植えるのかを決め、皆でそれを育て、収穫した作物を皆で分け合って各家庭に持ち帰ります。清水さんが考えているように、このような方法で人と食物とを結び付けることが、時が経っても持続的な効果を発揮する教育となるのです。つまり、今季は各家庭で食べるものが変わり、来季は食べ物となる作物を自分で育てる方法を覚え、そして年々時を経るごとに食のとらえ方が変貌していく、そういったことを目指しているのです。

清水さんは語ります。「マクドナルドの経営戦略は、『子供が10歳になるまでに食べ慣れるように仕向けた食品は、大人になっても習慣的にずっと食べ続ける』という理論に基づくものです。ということはですよ、秀明自然農法のお米や野菜を食べるという経験があれば、子供たちは、大人になっても秀明自然農法のものをずっと食べ続ける、ってことになるでしょう。そう願っています。」――と。

 

秀明自然農法――地上に天国を創造する農法
序論パート1:まったく別の基準で評価される農法
序論パート2:第2次世界大戦後の国内農業の産業化、
急速な変化、そしてオーガニック農業の導入

序論パート3:20世紀岡田茂吉氏の思想より萌芽する

 
 


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