お父さんへ
僕は、もうほとんど誰も作らない、昔のいろんな品種の桃の名前のことをずっと考えています。たとえば、こういったものを、、、
エルバータ J. H. ヘイル
レッド・ヘブン
これらの昔の果物は、見た目の色が乏しくて、倉庫での保存もきかなかったし、 フルーツ・ブローカーや生産管理者がもっともっと求めていたような品質には欠けていました。しかも消費者は、収穫後は冷蔵されて数週間、揺れても形が整ったままでいることのできる鮮やかな赤い色をした 新しい品種を好んで買いました。見た目がそれほどに良ければ誰が味を気にするでしょうか? 昔の果物は、それらを生産する農家の人達と共に、古臭いものだと見なされていったのです。
今、僕はオーガニック農法を行っています。そして、僕は小さい頃から親しんできた品種、サンクレストピーチとレグランドネクタリンにこだわっています。それらは大半が谷の土地から持ってきたもので、僕の果物は、そういう昔の果物に親しんでいた過去の記憶を刻む記念碑のような存在に思われます。そしてそういう僕もまた、年老いていき、僕の思いも、昔の果物のように、人々の心にとどまらなくなっているように感じているのです。
ある時、一日の長い作業が終わり、掃除をしている時に、納屋の棚の高いところにしまい込んであったコーヒーのブリキ缶を見つけました。そこには果物の包装作業をしていたあの懐かしい日々に使っていたハンド・スタンプが入っていました。このスタンプはお父さんがブリキ缶にしまっておいたものですよね。
リオ・ソウ・ジェム
サン・グランド
レイト・レ・グランド
夕方で日が暮れて暗くなる中、僕はそれらの名前を大きな声で読み上げました。それはまるで、亡くなってしまった近所の農夫のリストを上げているかのように思えました。
カム・オリバー
ケイ・ヒヤマ
アル・リッフェル
でも、これら3つのハンド・スタンプは特別で、僕の人生の一部でもあったのです。毎年、夏になると、これらの名前を木の箱の上に押して、過ごしたものでした。スタンプの木の持ち手は、何年間も使われていたために滑らかになっており、ゴムの文字には、少しずつ削りくずや埃がたまるため、時々爪できれいにしておかないといけませんでした。僕の指は常に紫のインクの色がついたままで、ある夏なんか、種離れの悪い桃 “フォーティーナイナー”の文字が僕の腕に残っていて、それはまるで農家の子供の入墨といった具合で、そのような入墨状態で何週間も過ごしたことがありました。
過ぎ去った昔から伝わる名前。殺虫剤や除草剤がまだなく、自然と共に働いて農業をしていたもっとシンプルだった時代。僕らは、桃の名前を全部知っていました。なぜなら数が少なかったから。お店では様々な 広告を出したものだし、家族では果物を中心に毎年集まったものでした。エルバータを缶詰にしたりジャムにするために世代を越えて女性達が集まったと聞きました。農家は毎年出し合った食べ物をもとにアメリカン・キルトを作ったものでした。
皮肉なことには、現在では、毎年何十種類もの様々な品種や新しい品種が紹介され、果物がその名前で売れることはめったにないです。現在のほとんどの桃は、単純に、見た目のきれいさを目的として栽培され、あたかもすべての桃が同じように見えなければいけないかのように、赤い色をして、固くて傷がありません。品種改良、生産、流通の過程の中で、一般の市場では、僕たち農家はどんな桃が消費者に届けられているの分からずに個性のない桃を生産し続けるようになってしまいました。だから、どの農家がどんな桃を作っているのか、そんなことは誰も分からないし、自分たちも市場にでている桃は自分の桃だとはいえなくなっているのです。
もちろん、先祖伝来の品種の方は、痛んでいたり、種が出ていたり、小さかったりすることがありました。その他、気候の変化に非常に敏感で、寒い春だと形が変になったり、収穫前に熱波が来ると、柔らかくてすぐに先がいたんでしまったりするのです。昔の品種がわきへ追いやられてしまった理由、それは現代市場にあります。悲運にも、大きさ、見た目、保存期間に対して評価する傾向のある 現代市場が昔の品種の行く末を悲しいものにしてしまったのです。僕達は、熟していない桃の世界に生きているのです。
けれど、これらのスタンプは、僕を、僕の家族と共にすごしてきた農場 の思い出の時間と場所とその余韻へと誘ってくれました。僕に十分に教えてくれましたね、お父さん。僕は、今でも自然への畏敬の念と、味への情熱を持って農業を営んでいます。僕のフルーツが、長い夏の日々の真っ只中を意識するあの瞬間、ちょっと休んで風味あるものを楽しんで食べる時間を作ってくれるように願いながら。
僕達は、思い出を実らすのです…そう、つまり食べることによって過去のことをはっと 思い出させてくれるような、そういうフルーツを作っているのです。バブコックピーチやグリーンゲージプラムをもぎたてで食べた過去を思い出すように。もし、僕達の農業が正しく行われるなら、市場受けのするフルーツばかりに囲まれた変化の乏しい画一的な味を余儀なく受け入れ続けるのではなく、いろんな味の個性豊かな様々なフルーツを味わう体験をするでしょう。
人々が今でも素晴らしい桃のことを覚えていると僕は信じたい。甘くてみずみずしい桃の味を知っているのは、たぶん年配の方達か、思い出を強く求めている人達でしょう。僕は願う。彼らが素晴らしい桃の味を忘れずにいてくれることを。
僕が最も憂いでいるのは、そういう味の感動を知らずに育った世代のことです。彼らは本当においしい桃やネクタリンやプラムの味を知りません。彼らの知識のすべては、彼らが実際に触れてきた事が基本になっているのです。彼らにとっては人為的に作られたお菓子の甘さ、それは桃の味がするゼリービーンやフルーツロールアップの甘さが基準なのです。砂糖による甘さがほとんどすべて、彼らの味の基準になっているのです。
その結果、昔の品種は彼らにとってふるさとの味ではなくなってしまったのです。彼らには本当においしい味の思い出もなければ、その味が思い起こしてくれる郷愁もないため、今の桃の味には何が失われているのかがわからないままなのです。サン・クレストとレ・グランドの味は特定の人だけが知る味となってしまったのです。そして、世界はもはや特定の人にしか分からない味の桃を必要としていないのです。
古きよき時代の桃たちよ
それはもはや帰るところがない品種たち
思い出のない人には
そんな品種のことを知るよしもない
サン・クレストもレ・グランドも
あの懐かしい時代を共に生きた人たちしか知らない
そんな古い桃を世界はもう必要とはしていない
お父さん、僕は昔なじみのあのスタンプを使う方法を見つけるかも知れません。そして、たぶん、僕の家族に いくつか新しいスタンプを加えるかも。
ヌビアナ
フレイバートップ
ネクター
これらはまるで詩のように素敵に聞こえて、幼い頃に戻るような気がします。だからきっと、お父さんは、今もずっとあのスタンプを、古いコーヒー缶に入れているのだと思うのです。
そして僕もそうしていくでしょう。
あなたの息子
マスより
この話は以前フレスノ・ビーに掲載されたものです。
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