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活気あふれるハバナ・ファーマーズ・マーケットのお客さんたち
たいていの店では、仲買業者を介して経営しています。農家の生産物を販売するのに、仲介業者が農家と直接契約を結んでいるのです。ここに並んでいるトマトは、1ポンド5ペソ(20米セント)で、値段は高いようです。 |
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私は知っている、世界が壊れやすく
まもなく崩壊するにちがいないということを
そしてその時、深い静けさのさなかで
静かなせせらぎが語りだすだろう
ホセ・マルチ 1891
2003年4月2日配信: キューバの地はまだ早春だというのに、私たちが慣れ親しんできた「母国アメリカで感じることができる快適さ」というものはほとんどないくらいの暑さ[1]を感じます。そんな中でも、私たちが乗ったエアコンの効いたバスは、快適な安息地のようでした。クッションのきいた座席は、旅の間中、必要な時に昼寝をしやすいようにと気を遣ってか、リクライニングの角度に倒してありました。けれども、私はたいがい前屈みになって、窓の外の景色に目を奪われていました。
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都会の非凡な農家「アメリカさん」 読者の皆さん、下の方の写真も見てくださいね。そして、アメリカさんが、ハバナという都会で営んでいる一風変わった農場の運営方法を写真から見いだしてみてください。 |
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キューバの首都ハバナにおいて、新しい建物と古くからある建物との対照的な姿を写真なしで表現するのは容易なことではありません。実際たくさんの写真が必要でしょう。観光客を呼び寄せるのに重要な建物(ホテル、美術館、史跡など)が各地で修復されつつあるとはいえ、民家の大半は気の毒な姿をしています。
確かにキューバは極めて貧しいけれども、明るい未来を確信させるものがあって、バスの窓から見えてくる光景に私の目は釘づけになりました。キューバの社会は非常な苦難に直面してきて、今や重大な崩壊の真っ直中にあります。そんな中にあっても、キューバには農業があります――いたるところで農業が行われています――それも、アメリカにおいては企業の農業ビジネスの指導者たちが「我が国では絶対に実現不可能だ」と言っていた持続可能な農業が。
私は、「キューバへ向かう史上最大の現地調査団」と言われてきた代表団の一員として、ペンシルベニア州の総合的病害虫管理(IPM)[2]の専門家であり、PASA(ペンシルベニア持続農業協会)のメンバーでもあるリン・ガーリンと共に、キューバの農業を調査するためにこの地を訪れました。また、フード・ルーツ・ネットワーク(http://www.foodroutes.org/)の専務理事であるティム・ボウサーも、全米、ラテンアメリカ、カリブ海諸島の、約90名からなる食と農業の専門家からなる精力的なグループの一員として、この視察に参加しました。この視察旅行は、カリフォルニア・フード・ファースト協会/食品開発政策(http://;www.foodfirst.org/)により計画され、今年の2月から3月にかけての2週間にわたって行われました。
何故、持続可能な農業が、キューバにおいて農業の指針となったのか
今回の視察旅行を振り返って、単刀直入に言いたいことがあります。“持続可能な農業が、キューバの社会ではどれほど中心的な概念になっているか”という事実を発見しても驚かなかった人が今回の視察に参加したメンバーの中にいるだろうか――また、帰国後、“持続可能な農業の推進が困難だとされるアメリカの中で、自分たちが置かれている状況”という現実を目の当たりにしても平然としている人がいるだろうか――そういう人がいるとしても、私にはもっとも強く考えさせられること一つあります。キューバにおいて持続可能な農業が成功に至ったことが、すべて意図したものではなかったとしても、この成功は注目に値することだと――つまり、キューバの歴史的な経緯が、この国における持続可能な農業の発展に重要な役割を果たしてきたということを。
1959年初頭、バチスタ政権を倒し、成功裏におわったキューバ革命の後、アメリカによる輸出入禁止により、キューバは主にソ連と他の社会主義諸国との限られた貿易関係に追いやられてしまいました。現在ではそれはもう40年以上にもわたっています。キューバでは「封鎖」と呼ばれるこの輸出入禁止にもかかわらず、1989年に始まったソ連崩壊までの約30年間、ソ連とキューバとの間に締結された通商協定[3]は、キューバ経済の成長にとってかなりうまく機能しました。この期間、キューバは、主に砂糖、タバコ、ニッケルを輸出し、燃料、食糧、医薬品、そして大規模慣行農業を支えるのに必要な設備や必需品を輸入していました[4]。
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廃鉄道コンテナを活用した農産物直売所 歩道の脇に設けられ、「America's(アメリカさんのお店)」とペンキで大きく書かれた農産物直売所は、古い鉄道コンテナを再利用したものです。写真の後方に写っているアパートに注目してください――アメリカさんは農家として、食物となる農産物を消費者が移住するすぐ側で生産、販売し・・・・・・近所に住む消費者は、それらを消費しています。 |
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しかし、農業の変革の兆しは、革命後の30年間を通じていたるところに現われていました。私たちはこの視察旅行で、農業改革が常にキューバ社会主義政権の最重要課題であったことに気づきました。そして、1963年に、フィデル・カストロがハバナ農業大学(キューバの公用語であるスペイン語では、ユニバーシダード・アグラリア・デ・ラ・ハバナと呼ぶ)の卒業式に出席し、前年の1962年に出版されたばかりのレイチェル・カーソン著「沈黙の春」を自ら卒業生一人ひとりに手渡したということを聞き、私たちの多くは驚いてあいた口がふさがりませんでした。
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キューバの役人たちは次のように語ってくれました「持続可能な農業は、我が国の国防の中でも不可欠な部分になってきました……いわばいわば国民一人ひとりが『戦争』に対して備えているといったところです。」 そして「我が国の土壌は戦略上、重要な天然資源なのです。」 ああ! この言葉をアメリカの役人からで聞くまで、我々はどれだけ首を長くして待つことになるのだろうか? |
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キューバ革命は、当初からキューバに住むすべての男女、および子供に充分な食糧を生得権として保証することを目指してきました。そして、食糧をできるだけ多く、実際に人が住んでいる場所に近い、もっと小規模の農場や協同組合で農薬や化学肥料をできるだけ使わずに生産することを強く望んできました。
革命前までは、キューバでは、アメリカ資本が、それも巨大な資本が、キューバで会社を経営し、キューバの農地を所有していました。キューバの国民が、会社や農地を所有してたわけではなかったのです。外国資本は、キューバの利益には目もくれず、自社の利益のために輸出を行ってきました。キューバ革命後、革命政権は農地改革[5]を断行、外国企業が所有していた農場を国が接収、何を目指して農業生産を行うのか、優先順位に変革を起こしました。つまり、外国資本が潤うための農業から、自国のための農業へと変化が起こったのです。輸出は続けられましたが、この島国の中だけではすぐに手に入らない商品を入手するために、輸出によって外貨を得ることはたいていの場合、必要悪と考えられたのです。
キューバにおける持続可能な農業の特徴
次にあげる最新の計画リストは、農学者ルイス・ガルシアが「フード・ファースト」の代表団に見せてくれたものです。(ルイスは、カストロが卒業生にレイチェル・カーソンの「沈黙の春」を一人ひとり手渡したというハバナ農業大学の持続農業研究センターの所長です)。「キューバ式持続農業」と題されたこのリストは、今の経済危機が始まって以来キューバの農家が直面している難問を反映したものとなっています。けれども、このリストは、持続可能な農業をするどこの農家にとっても、かなり役に立つ優先事項の一覧でもあります。
・総合的病害虫管理(IPM)
・オーガニック肥料およびバイオ肥料
・土壌の保全および回復
・トラクターに代わって馬や牛など動物を耕耘に活用、および代替エネルギー
・間作および輪作
・作物生産と牧畜とを組み合わせた混合農業
・代替となる機械化
・都市農業、および地域の参加
・地域の事情に合った代替の獣医学
・農村から都市への人の流出を止め、都市から農村への人の移動をはかる
・土地の協同利用の促進
・農業研究の改善
・農業教育の改革
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しかし、キューバ革命から約30年後の1991年、ソ連が崩壊し、キューバはほぼ一夜にして絶望的な食糧危機に陥りました――が、それは、農業改革の速度を劇的に加速しました。アメリカは、東欧、ソ連に続き、キューバでも新たに資本主義反革命を引き起こす絶好の機会だと察知し、1992年にトリチェリ法[6]を、さらには1996年にヘルムズ・バートン法[7]を成立させました。アメリカがこれらの法規制によって、キューバの輸出入禁止を強化したので、キューバ国民にとって事態はさらに悪化したのです。
今回の視察旅行を通じて我々はたくさんの人たちに出会いました。行く先々で皆、口々にかなりの感情をこめて対ソ貿易の消滅とアメリカの法規制という歴史的なワンツーパンチの衝撃について話していました。ところが、どういうわけか誰もがそれぞれふりかえって恨みがましい言い方にならないようにしようとしていました。それどころか、押しつぶされそうな状況に直面しながらも、自分たちが成し遂げてきたことについて誇りをもって語っていました。
それまで輸入によってもたらされていた濃縮飼料、肥料、殺虫剤やその他の農薬が不足したために、この社会に暮らす人々は政府や大学の援助を得て、オーガニック農業が広範囲で多様でよく普及することを実現するようにと、キャンペーンを大々的に展開したのです。まだ完全ではないまでも、その成果は驚くべきもので、キューバ文化に依然として現存する、革命の精神がもつ不朽の力というものを証明しています。
都市農業の出現
この危機を緩和する主要な戦略の一つとして、都市に住む人たちが、都市農業を実施しました――人々は裏庭を耕したり、放棄された土地や、閉鎖された製糖工場の敷地を、持続可能な野菜生産や林業などの用途に解放することによって新しい命を吹き込んだのです[8]。政府が危機的な状況への対応策として自由市場を刺激したために、今ではハバナ市内で十分な量のオーガニック農産物が育てられ、250万人の市民一人ひとりに、毎日最低300グラムの果物と野菜が供給されています。
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馬と訓練された牛がトラクターに取って代わる
「チュチョ」農場を手伝う人がひとり、作物を育てている農家なら誰もがよく知っている問題……レタスの早すぎる抽苔(とうだち)に対してどのように対処したらいいのか……に取り組んでいます。キューバでは作業用の馬は少々珍しいけれど、牛の方はといえば、現在50万頭近くが訓練されており、以前の燃料を食うトラクターに代って働いています。 |
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私たちが会った都市農家の中には、とても安定した職を離れ、初めて農業に従事することになった人もいました。例えば、私たちは「チュチョ」という人に会いました。チュチョは、以前は獣医だったのです。彼は、当初、自分の子供たちを食べさせるために農業に転向しました。彼が言うには「1日に卵1個しかとれなくて、それを子供2人で分け合うという状況に気づいた時、手遅れになる前に何かを変えようと決意したのです。」とのことです。彼と以前化学者だった彼の奥さんは、今では2つの農場を経営していて、前の職業で得ていたよりもずっと多くの収入を得ています[9]。
もう一つの戦略というのは、大規模国営農場を小規模の協同組合に分割してきたことです。それは協同生産基礎単位(UBPC)[10]と呼ばれているものです。私たちは55軒の農家を雇っているUBPCの一つを訪ねました。彼らは合計約3.2ヘクタールの土地を耕作していて、それぞれの農家の収入は、国民の平均月収の約4倍です。彼らは食物を一般の市場で販売する前に、社会義務の一端としてまず地域の学校、病院、老人ホームに供給しなければならないという事情があるにもかかわらず、こういった成果をあげているのです。
キューバにおける都市農業成功の鍵は、農場が生産物を買う顧客の家の近所にあるということです。例えば、私たちが会ったもう一人の「アメリカ」という名前の農家は、自宅近くの土地を隣人の助けを得て耕作しています。彼女は社会義務を果たしたあとで、改装した鉄道車両で農産物を売っています。かつての鉄道車輌も、今や道沿いで、野菜直売所として活躍しているのです。ハバナ内外のあちこちにあるこのような野菜の販売所が、毎日、数百、数千というお客さんを引き寄せているのです。
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レタスの苗床 写真は、キューバの首都ハバナにあるアメリカさんが所有する都市農場の一部を写したものです。一段高く設えた苗床と、キューバ政府から支給された近代的な灌漑システムが写真に写っています。このような個人農場は通常、組合を通じて経営されています。個々の農家は新鮮な食物を地域の学校と病院に供給した後は、道沿いの直売所で販売することができます。 |
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都市農業成功のもう一つの鍵として、この国が大学の学外教育活動の改革と活性化に取り組み、現在にまで至ったことがあげられます。この国のいたる所で、学外教育者と呼ばれる人たちが、本来は「解放」と称される「民間教育」のモデルを厳格に守っているのです。このモデルでは、教師が生徒より重要だと考えられることは決してなく、教師も生徒もその過程で共に学び、経験を共有するのです。
キューバにおける学外教育の本質的な目標は、伝統的な生産体系に新たな技術を織り込んでいくことです。農家というのは何をどのように生産すべきかについて一番正しく判断できる人だと考えられています。ある学外教育者が言ったように、「農家は自分が食べないようなものは育てるべきではない」のです。
キューバの持続可能な畜産生産の達成率は、野菜と果物のそれに比べると遅れています。もっとも、豚肉と鶏肉の生産が、今では小規模農家のより多様化した農業体系で実施され始めていて、キューバ危機以前の水準に達しているというのは目を見張ることです。その頃はすべての家畜が従来通りの柵で囲われた施設で育てられていました。キューバで実施された大学の調査によると、牛20頭で行う酪農が最大の効率を上げると結論づけられました(なお、この調査は彼らが開発した持続可能性指標を用いて行われたものです)。
キューバでは革新の精神が生き生きとしており、かつ旺盛である
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偏見なき誇り キューバの果物農家の夫婦。彼らは代表団のメンバーを自宅に招待してくれました。どこに行っても、確信をもって理解できたことがありました。ここの人たちが、自分たちが成し遂げたことをどれほど誇りに思っているか……そして、どれほど喜んで私たちを迎えてくれたか……。お別れの言葉はしばしば涙まじりになりました。 |
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旅の間中、どこの場所でもどの街角でも、革新精神の証を認めることができました。行く先々で革新の精神に出会うたびに、ペンシルベニアやアメリカの他の地域で実施されている、多くの持続可能な農業経営のことが思い起こされました。しかし、私たちの母国アメリカにおける持続可能な農業への一般的な姿勢とキューバの人たちが革新に取り組む精神とを比較すると、その姿勢の違いに対照的なものが受けられます――キューバの人々は、このような革新を成功させることこそ、自国の未来の安全を左右する重大なものと見ているのです。
一つの例として、また1989年以来直面してきた危機を踏まえて、キューバの役人2人が言及したコメントをそれぞれ紹介します。「持続可能な農業は、我が国の国防の中でも不可欠な部分になってきました……いわば国民一人ひとりが『戦争』に対して備えているといったところです。」 そして「我が国の土壌は戦略上、重要な天然資源なのです。」と。これら2つのコメントは、大規模な飢饉が起こる可能性が十分あることを非常によく理解した指導者たちの言葉なのです。
旅の途中で出会ったキューバの農家の人たちは、圧倒的な強敵に立ち向かって成し遂げてきたことについて話すとき、満足げに顔を輝かせていました。キューバの人たちは、自分の家族を食べさせるという目的から農業の改革を始め、今では、地域の人々の食を支え、至るところでキューバ社会の食を支えているのです。
我が国で、持続可能な農業の支持者がいるとして、今の自分たちの政府や経済状況を、キューバで見出したそれらと取り替えたいと思う人はほとんどいないでしょう。しかし、将来、自分たち自身が『特殊な時代』を生き抜かなければならない事態が来ることを避けるためにも、アメリカで持続可能という原理をいかに役立たせることができるかという実例を見ても決して損にはなりません。
持続可能な農業と抵抗 フェルナンド・フュ―ンズ、ルイス・ガルシア、マーチン・ボーギュ、ニルダ・ペレス、ピーター・ロセット編 英語版 フード・ファースト・ブックより出版 Amazon.comより購入可能
キューバの緑化 フード・ファースト・ビデオ、ハイメ・キベン監督
注文はLPCグループ(1-800-343-4499)またはフード・ファーストのサイト
(http://www.foodfirst.org/)までどうぞ。
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集約農業と粗放農業
私たち視察団は、キューバの農家や農業の専門家から、将来への展望について多くの興味深い見解を得ました。その中で、一番興味深く感じたものの一つに、「粗放農業」という考え方があります。
「集約」という言葉は、「産業化された農業体系」を言い表したもので、我々アメリカ人には大変馴染みのある言葉です。それと同様に、この「集約」という言葉を、キューバの人たちは、柵で囲った施設での家畜の飼育や、化学肥料や農薬の投入に大きく依存した単一作物栽培――これも「産業化された農業体系」の例ですが――を表す言葉として用いています。
それに対して、その代替となる農業体系について述べる時、キューバの人たちは「粗放」農業体系について語るのです。その農業体系では、いくつもの狭小な土地を持続可能なやり方で運営し、広大なネットワークを形成していくのです。そして、そのネットワークが将来どのように発展していくのか、キューバの人たちは次のように力説します――地域の人たちは協同で作業を行い、地域内で穫れたものを地域内で販売し、農場を基盤にした事業を展開し、さらには、ネットワーク化した地域の社会構造に対して農場は本来農場がもっているべき責任を果たしていくのです――と。
粗放農業は、集約農業とは対照的な農業であり、それは、まったく異なる方向性をもつ世界観を描いたものなのです。キューバの人たちは「Extensive agriculture=粗放農業」という言葉を用いていますが、“Extensive”という言葉には、“広い、大きな”、という意味もあり、キューバの人たちは“Extensive”という言葉を使う時、『持続可能な食糧体系や農業体系を確立するためには、自分たちの計画がどれほど“大きな”ものであるか』という強い主張を込めているのです。
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ブライアン・スナイダーは、ペンシルベニア持続農業協会(PASA)の専務理事です。PASAがフード・ファースト代表団に参加してキューバの農業の視察に行ったことについて、スライド上映を含めて、もっと詳しい紹介をすることに興味をお持ちの個人または団体は、ブライアン(brian@pasafarming.org)まで直接ご連絡ください。
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