道すがらに目にした圃場はどれも測量士が区画したのかしら、と思えるほど縦横正確に区画整理されています。寸分の狂いもなく平行に走る畝は、どれもピッチリとビニールで覆われていて、まるでスーパーの店頭に並ぶ挽き肉のパックのようです。一方、ジャガイモの苗の列に目を向けると、どれもビニールマルチの穴から不自然なほど均一な背丈で伸びていて、舗装された歩道の合間から立ち並ぶ東京の街路樹を連想させます。まだ何も植わっていない畝を見ていると、ビニールそのものを育てているのかしら、と思えてきます。と同時に、つい想像してしまうのです――収穫期に農家の人達が畝の間をゆっくり進みつつ、成長したばかりのビニールを畑から引っ張りながら収穫して、真四角な束に畳んでいる光景を。
そういう農家が吉野修さんの畑を見たら、皆ショックで気が変になるに違いありません。彼の畑は隣の裸地に向かって斜めに突き出し、それから半円を描くように折れ曲がり、区画整理なんてどこ吹く風といった感じです。畑の外周には、濃い緑の草が畦を縁取るように繁茂しています。畝の作付けもさまざまで、タマネギが3列、草が3列、大根が2列――ここにブルーシートが掛けてあるかと思えば、そこには赤いかごが転がっている――棒切れや雑草を丁寧に紐で縛った束がそこかしこの木々に立て掛けられている――それらの木々からは多数の枝が土に被さるように長々と伸びている――といった具合です。実際、慣行農法で農薬まみれの12ヘクタールの畑の片隅に腰を下ろして吉野さんの畑を眺めていると、彼の畑はどちらかといえば近くにある森に似た雰囲気があり――狼に育てられた子供のような野性味が漂っています。それにもかかわらず、周囲のすべての畑を見回しても目に入る人といえば吉野さんだけであり、他の慣行農業の畑はリモコンで遠隔操作されているように見えてしまうのです。
誰か他の農業者と比べるまでもなく、このしなやかな体つきのハンサムな男性は、外見からしても違っています。ピンクのタオルを帽子のように頭に巻き、「SUPER STAR(スーパースター)」の赤字のブランドロゴが胸元に入った黒いジャージの上着を着て、爪は長めで指先より長く伸びています。めっぽう若く、格好良くさえ見えるその容姿からは、彼がこの小さな村で生まれ育った農家の息子だとはとても信じられません。

めっぽう若く、格好良くさえ見えるその容姿からは彼がこの小さな村で生まれ育った農家の息子だとはとても信じられません。
この村の周囲の人たちと同じように、吉野さんは農業をしながら育ちました。農薬や化学肥料を使いたくはありませんでしたが、他に選択肢があるとは思っていませんでした。でも彼が他の農家と違っていたのは、なんでも実験してみる質(たち)だったことです。ある年、彼は水田に除草剤を撒かずにやってみようと決意し、試してみました。が、そのやり方に疑問をもつ近所の農家が正しかったということを証明するかのごとく、結果は悲惨なものでした。吉野さん独りでは取り切れないほど大量の雑草が生い茂り、その水田は駄目になってしまったのです。
地元の秀明の人たちはそれを、秀明自然農法の最初の一歩だと捉えました。そして吉野さんに、除草剤だけではなく、肥料など一切の投入物も水田に施さない秀明自然農法を試すよう強く勧めました。再度水田は草ぼうぼうとなりました――が、今度は思いがけなく農薬に取って代わるものが舞い込みました。草取りをしなければならない時期に、秀明の人たちが大勢奉仕でやって来たのです。
そのおかげで結果はよく、これならやっていけると納得した吉野さんは、全部で2ヘクタール余りの農地を秀明自然農法へと徐々に切り換えていきました。収穫が減ることは分かっていましたが、それなら生活をそれに合わせよう、つましく暮らしていくこともできるのだ、と考えました。この新しいやり方を続けるには、もっと人手が必要になりますが、吉野さんは、奉仕で力を貸してくれる人たちを信頼出来るようになっていました。ただ解決できない問題が一つ残っていました。それは、せっかく収穫した作物を買おうとする人が少なく、野菜がいつも売れ残ってしまうことでした。
吉野さんは穫れた野菜を地元の秀明のセンターに持っていって売ろうとしましたが、結果は思わしくありませんでした。秀明の人たちは彼に同情はしました。でも、皆の目は、見た目が立派で季節に左右されないスーパーの野菜に慣れていたのです。東京の東、気候の温暖な千葉に住む人たちは自分たちが欲しいと思っている野菜が穫れた時にだけ、吉野さんのお客さんとなるのでした――それだけではどうしようもありません。思うように野菜が売れず、僅かな生計を立てるのさえ困難になったある日、吉野さんは「せっかく作っても思うように売れないのならもう続けられない。」と秀明の一人の女性に告げました。すると、彼女はすかさず、「何人野菜を買ってくれる人が必要なの? 私が何とかするから教えて。」と、聞き返しました。
堂前恵子さんは、時間を決して無駄にしません。問題にぶつかったかと思えば、もう解決策を考えています。長年、人と食物とを結びつける活動をしてきた彼女にとっては、吉野さんの抱える販売の問題など小学校の算数の問題を解くようなものでした。必要だったのは、堂前さんが以前に千葉県全域への普及に尽力した生協と同じような、食品の共同購入を行う会員制の組織を秀明の内部に作り上げることでした。
堂前さんの提案に対して、「会員制? それは無理だと思うよ。」と言ったのを吉野さんは覚えています。堂前さんが「何故なの?」と訊くと、「あなたたちは、その時に食べたい物を店で買ってくるでしょう。消費者なんてそんなもんですよ。」と彼は答えたのでした。
吉野さんにはもう分かっていたのです――秀明自然農法の実施農家では、世間一般の食生活に慣れた消費者の要求を満足させることはとてもできないことを。吉野さんは四季の移り変わりを理解しており、冬は蓄えた根菜類ばかり、また早春はもっぱら青物しか食べられなくても、不満なく過ごせるのですが――堂前さんや、彼女が心に描く会員制グループの人たちも自分と同じような食生活ができるとはとても思えなかったのです。

吉野さんにはもう分かっていたのです――秀明自然農法の実施農家では、世間一般の食生活に慣れた消費者の要求を満足させることはとてもできないことを。つまり、吉野さんは四季の移り変わりを理解しており、冬は蓄えた根菜類ばかり、また早春はもっぱら青物しか食べられなくても、不満なく過ごせるのですが...
確かにその時点では、吉野さんの反論は的を射たものでした。堂前さんはずっと以前から、自分の家族には安全な物を食べさせたいと望んできました――が、野菜に旬があるということを考えたことは一度もなかったのです。彼女にとって、トンカツの付け合わせには、季節に関係なくキャベツと新鮮なトマトを添えるのが当たり前でした。彼女の活動していた生協はどこでもうまくいっていたのですが、安全な食物を消費者の手に届けるという目標から手軽で便利な食品を安く提供する方へと、どうしても目標が移ってしまうため、結局、彼女はその活動から去ることになるのが常だったのです。
「どの生協も口を揃えて、消費者の健全な食物に対する志向を支援している、と言うのですが、実際の消費者との関係は、スーパーと何の違いもありませんでした。」と、堂前さんは語ります。彼女にはその時、生協に欠けているものは、消費者と農家との肌で感じる人間関係であったことがはっきり分かっていたのです。
この場合もまた、解決策は容易に思えました。堂前さんは、農家から消費者へ直接販売するルート、CSA(地域支援農業)の体制を作るために、60名の会員を集めました。会員は、日常の食生活を自然のサイクルに合わせることを誓約し、そして吉野さんは野菜を作り続けたのです。しかし会員が誓約を守るには、食生活を何に合わせればよいのか、まずその理解が必要でした。そして現在の堂前さんが語っているように、「それを理解する方法はただ一つ、実際に農家を訪ね、そこの農家と共にその畑に立ってみることでした。」
吉野さんは、堂前さんが草取りに来て初めて水田に入った時のことを思い出して笑います。「堂前さんが、キャーキャー叫んでいたのを覚えていますよ。」華奢でおしとやかな女性ではないにしても、泥が足の指の間をにゅるにゅると通り抜ける感触がたまらなかったのです。その時は吉野さんは首を振りながら、「もういいから田んぼを出て腰を下ろすか、どこか他の所で作業するかして下さい。」と、堂前さんに言いました。
堂前さんは、その時は止むなく草取りを諦めてしまったのですが、その後、水田に何度も足を運ぶようになりました。あれから7年経った今では、堂前さんは農場見学を案内できるまでになっています。当初、吉野さんと60名の消費者との提携から始まった一つの会員制グループは、現在では東京を中心に関東一円に広がるCSAネットワークへと発展してきました。このネットワークには現在、24エリアからなる会員制グループがあり、それらと提携する生産者は60名いて、そのうち20名が専業農家です。農家が余剰生産物を抱えていれば、CSAネットワーク同士を結ぶファックスや電子メールの通信システムにより、提携先外のエリアや全国にあるその他の地域のCSAへ在庫状況が知らされます。また、会員は、同じようにCSAネットワークを介して、他の地域で加工品を専門的に作る秀明自然農法の生産者から、醤油など主要な加工品を購入することができます。このように、CSAネットワークグループは様々な活動を展開し、数々の功績をあげてきました。でもやっぱり、その全ての中で、堂前さんが一番の誇りにしていることはこの言葉に表れているようです。「現在までに会員の入れ代わりは随分ありました。でも、最初の60世帯は今まで離れずにずっと一緒にやってきたのです。」と。

堂前さんは、60名の会員を集めました...会員は、日常の食生活を自然のサイクルに合わせることを誓約しました...しかし会員が誓約を守るには、食生活を何に合わせればよいのか、まずその理解が必要でした。そして現在の堂前さんが語っているように、「それを理解する方法はただ一つ、実際に農家を訪ね、そこの農家と共にその畑に立ってみることでした。」
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吉野さんの圃場から車で1時間ほどのところに、林重孝さんの圃場があります。林さんの圃場は秀明自然農法ではなく有機農法ですが、独自の会員60世帯に野菜を届けているCSA農家です。私たち一行が春雨に濡れながら林さんの畑を歩いていると、彼は自分の目に入るものすべてを指差しながら興奮した口調で語っています。その横で私はこの圃場から受けた衝撃で頭がクラクラしています。
秀明自然農法の圃場で一週間を過ごしてきた私は、この畑の、職人技のようにすべてが完璧で、整然しており、あまりにも均一な様にショックを受けています。畝は細長く延び、どの畝にも単一の作物が端から端まで植えられていて、その長さは120メートルということです。(林さんの頭にはちゃんとこの距離が叩き込まれているのです)。畝と畝の間には雑草はまったく生えていません。実際、びっしりと植えられた作物の隙間といえば、帯状に黒々と伸びる裸の土壌だけで、その土もきちんと平坦に耕されて、あとは作付けを待つだけの状態になっています。春のまだ肌寒い天候にもかかわらず、既に20種類くらいが育っており、パセリ、小麦、エンドウの苗などが、黒いビニールマルチの穴から頭をもたげています。
ハウスに入って、一面に整然と並ぶ苗箱の真ん中に立つと、どうしてこの場所にこれほどの違和感を覚えたのかが分かってきます。ここはアメリカのオーガニック農場にそっくりなのです。圃場を見る私の目は、秀明自然農法に触れることによって大きくゆがめられていたらしく、ここに見られる秩序正しく、計画的に行われている農作業とその光景全て――7号鉢(約3.8リットルの大鉢)で育つナスとトウガラシ、雑草一本生えていない土壌に植え付けられたレタス、ここの作業に従事する人たち――が、出し抜けに、生気を欠いたものに見えてしまうのです。
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アメリカに戻って、自分が書いた訪問記を読み返している今では、オーガニック農場の圃場を見ても奇妙な不快感に襲われることはもうありません。それでも、地元カリフォルニア州北部で周辺にある広大な圃場を歩いていると、秀明自然農法との著しい違いを感じます。本質的にどちらの農法が優れている、とは言えません。それは実現を目指して努力する双方の目標が違うからです。一方はビジネスです。もちろん、誠意を感じるものではありますが、ビジネスはビジネスです。それに対してもう一方は信仰とでもいうべきものなのです。
私が日本を訪れた4月下旬には、林さんはハウスで深底の容器でサツマイモの栽培を始めていました。雨の日でさえ、土壌の温度は摂氏32度に保たれていました。そのため、蔓はものすごい勢いで伸び、紫の葉脈が濃い緑の葉を縫うように走っていました。定植すれば、実際の旬よりはるかに早く収穫の時期を迎えるでしょう。同じ日、吉野さんの苗床では伏せ込んだサツマイモの種芋から若々しい蔓が芽吹いていました。鳥の食害から守るために、苗床を寒冷紗のトンネルで覆い、籾殻の詰まった麻袋でトンネルの両側を固定していました。成長はゆっくりとしたもので、林さんのサツマイモ畑より、そしてどのサツマイモ畑よりもずっと遅い収穫となるでしょう。しかし、吉野さんには、そんなことはまったく気にならないことでした。彼は敢えて自然の営みにできるだけ近いやり方を選んだのですから。早めに収穫を得ることは彼にとっては重要ではありません。それどころかむしろ彼の目指すことに相反すると言えるかも知れません。

...吉野さんの苗床では伏せ込んだサツマイモの種芋から若々しい蔓が芽吹いていました。鳥の食害から守るために、苗床を寒冷紗のトンネルで覆い、籾殻の詰まった麻袋でトンネルの両側を固定していました。成長はゆっくりとしたもので、林さんのサツマイモ畑より、そしてどのサツマイモ畑よりもずっと遅い収穫となるでしょう。しかし、吉野さんにそんなことはまったく気にならないことでした。
少なくとも吉野さんと林さんを見比べた場合、秀明自然農法と標準的な有機農法との違いは、消費者側の要求のあり方に応じて、農家側がどんな技法を選択するか、その違いにある、と言えるかもしれません。例えば、林さんは昔ながらの「山菜」であるウドを、床に盛り土をした真っ暗闇な室内――まさに、電源を切った巨大な冷蔵室のような所――で栽培しています。ウドは山野で育つと、アスパラガスに似た茎を伸ばし、太陽の光を浴びて緑になります。この暗室でウドを育てる目的は、それとは反対に茎を完全に漂白したように軟白化すること――つまり、日本の消費者が馴染んできた色にすることなのです。
言うまでもなく、吉野さんはそんな風にウドを育てようとは夢にも思わないでしょうが、彼の場合は、会員たちが、少しでも自然に順応しようと本気で関わってくれるという点で、恵まれています。自然界で生活の糧を得るには自然が与えてくれるものをすっと受け入れていく必要がありますが、吉野さんの会員たちは、そんな風に変わってきたのです。例えば鹿は、なんの要求や期待もせず、自然が与えてくれるものを食べ、季節や天候の変化に応じて、生きる糧を求めて黙々と移動します。同様に堂前さんや会員の人達も、自然の恵みと、吉野さんがその恵みをいただいて作った作物を受け取ることに身を委ねるのです。
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訳者注:
ヨトウムシを磨り潰した懸濁液
林重孝氏は、ヨトウムシの防除のために、病気で死んだヨトウムシの幼虫をすりつぶし、水で懸濁した液を散布している。これによってヨトウムシの死因となった病原菌が散布されることになり、ヨトウムシを防除しているのであろうと林氏は説明している。なお、ヨトウムシの死因となった病原菌はヨトウムシに特異的な病原菌のようであり、ヨトウムシ以外、例えば青虫などに散布しても効果はない。 |
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林さんは、栽培上、面倒な問題が生じた時には何らかのものを投入して対処します。例えばヨトウムシの害に遭えば、地中からはい出てくるヨトウムシを磨り潰した懸濁液を作物にかけて防除したり、また、地力が落ちた時は、厩肥やコンポストといったものを施して疲弊した土壌の地力を強化することもできます。消費者からの要請ではないのですが、林さんの目的は食物を提供することであり、それが一番効果的な方法だと思うからです。一方、吉野さんは不作の場合であっても、何かを投入することはなく、じっと観察し、次回はどこを変えれば対処できるのかな、とあれこと思案します。「秀明自然農法に切り替えるには、身体的、精神的、そして財政的にもそれをやっていくだけの準備と覚悟がなければできません。これなら大丈夫だと保障してくれるものは、秀明自然農法には無いのですから。」と、吉野さんは語ります。
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私は秀明自然農法と有機農法との技法上の違いを目の当たりにし、両者の間には、この現実社会においてそれぞれの活動を方向づける基本的なものの考え方に明確な違いがあるように思えてきたのです。けれども吉野さんは、両者の考え方や技術面の違いを教え合わなければならないのだ、と主張します。有機農法が、日本における代替農法の一環であるのに対して、秀明自然農法は、現在の社会のあり方を変えていこうという信仰を基盤とした活動です。ですから秀明自然農法では、生産者は化学農法からいきなり秀明自然農法へと転換し、消費者はファーストフードからいきなり季節に順応した食生活にその身を投じるのです。ただ、抽象的な概念に対する信奉に基づいて切り替えるため、実際に始めてみるとその転換は平坦な道ではなく、かなりの困難を伴いがちです。吉野さんは、秀明自然農法の理想にやや妄信的に従っている実施農家は確かに多い――理念を信奉していても、それを具体的な農業技術に当てはめて、自分の畑でうまくいくやり方を見つけ出すことに悪戦苦闘している――と認めます。
それに対して、林さんのような有機農家は、現実的で、かつ、活動を方向づける基本的な考え方を反映した非常に明確な目標を持っています。その目標とは、農薬使用の排除、安全な食物の提供、有機農法の考え方に同感する消費者の需要を満たすことです。その動機と技術が一致しているのです。そういう経験こそ、秀明自然農法実施農家が取り組みを成功させるために学ばなければならないことなのだ、と吉野さんは主張します。さらに吉野さんが感服するのは、林さんの絶対とまで言える信念の強さです。もちろん秀明の農家が、自らの目標とすることに信を置いていないということではなく、目標を理解することとても難しいのです。地上に天国を創造しようと目指す場合より、農薬を止めようと目指す場合の方が、目標の達成が、はるかに単純で簡単なだけなのです。
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訳者注
BT菌
バチルス・チューリンゲンシス菌(学名 Bacillus thuringiensis)。
この菌がつくり出すタンパク質を特定の害虫が食べると、口がしびれて摂食障害を起こし、さらに毒素が消化管の細胞を破壊して消化液が体中に回って麻痺を起こして死ぬ。しかし、化学農薬より副作用の少ない生物農薬として活用が広がっている。有機JAS法においても使用可能農薬としてリストされているので、認定を取得した有機農家がBT菌を使うことは法律上全く問題はない。なお、遺伝子組み換えBTトウモロコシが問題になるのは、遺伝子組み換えだからであって、BTだから問題にしているのではない。 |
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しかし、有機農家が信念を持って目標を達成しようと取り組んでいるのに対して、秀明自然農法の農家は目標に対し献身的に全てを捧げているのです。秀明の農家はひとたび農法を切り換えようと思い立ったら、直ちに、圃場をそっくりそのまま自然に返上しようとするのです。BT菌や家畜の厩肥を使うなど、回り道と思うことはしません。それらは安全を保障してくれるものになるでしょうが、秀明自然農法の基本的価値観を損なってしまうことのように思われるからです。堂前さんならさらに、この完全なる転換は、単なる農法の域を超越したものである、と付け加えるでしょう。彼女は言います、「以前はずっと思っていました。『確かに私たちにはこの偉大な哲学がある、でも生活の糧を得ることはまた別の問題だわ』と。でも今は、『自然を理解したい、また生きることの本当の意味を知りたいと真剣に考えるなら、哲学と生活の糧を得ることとは切り離しては考えられないのだ』ということが解って来たのです。」

「以前はずっと思っていました。『確かに私たちにはこの偉大な哲学がある、でも生活の糧を得ることはまた別の問題だわ』と。でも今は、『自然を理解したい、また生きることの本当の意味を知りたいと真剣に考えるなら、哲学と生活の糧を得ることとは切り離しては考えられないのだ』ということが解って来たのです。」
ですから、秀明自然農法の消費者も、農家を経済的足かせから解放し、なんとかして心と技とが表裏一体になるようにと献身的に活動します。このようなチャンスに恵まれた吉野さんは、秀明自然農法でも有機農法でもない近隣の慣行農家について、半ば哀むような口調で語ります。彼の目には、市場の動きに完全に左右される農家は最善策を選択することすらままならないように写るのです。「慣行農家にとって、農業は生計を立てる為の単なる手段であり、もはや、生き方そのものではなくなってしまったんです。クモの巣のような罠にかかって抜け出せないのです。こうするしか生き延びる方法がないって考えているんですよ。」
さて、林さんはどうかと言えば、つらい仕事の奴隷となってあくせく働いたりしていません。それどころか、冷たい雨の中でさえ、農作業の喜びに顔を輝かせているほどで、とても犠牲者には見えません。あるべき農業の姿に向って一本の直線を引いたとしたら、林さんはその線上の何処かにいます。ビニールを栽培しているように見えた農家も、そして吉野さんも、同じ線上の何処かに位置するのです。さしあたり、秀明自然農法と有機農法はその線上でそれぞれ別の地点に位置しています。それは設定している目標が本質的に異なり、農業を行っている世界がまったく別だからです。けれども吉野さんは、両者がいずれ一つの農法に合流していくだろうと考えています。
「もちろん技術的には違っているけど、行き着こうとしている目標は、秀明自然農法も有機農法も同じでしょう。いずれ、その差はもっと小さくなりますよ。あるべき農法――秀明自然農法が目指す究極の農法――が現実のものになって広まっていく、という感じかな。そのあるべき農法の一部は、今現に農家が畑で行なっていることでしょうし、また農家が畑仕事をしながらあるべき農法とは何かを考えている場合もあるでしょう。それがどういうものかがはっきりとわかるには、僕たちも有機農法の人たちも、もう少し時間がかかるでしょうけどね。」と吉野さんは語ります 。

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