秀明自然農法は、岡田茂吉氏(1882年―1955年)の教義に基づいて実践されています。岡田茂吉氏は日本に生まれ、貴金属商から一転して精神的指導者かつ農業の先駆者となりました。彼の哲学の基礎は、2つの世界大戦の間に形成され、恐ろしい時代に示された一つの道標とも言えるものでした。その目標とするところは、全人類の健康と安全、そして貧苦からの脱出を根底とする新文明世界――地上天国を創造することでした。この理想世界は、‘3つの活動理念である精神性、美、自然力を培い、発展させることによって達成される’と岡田氏は説いています。
現在、秀明の会員は、世界で30万人になります。大部分は日本在住ですが、アジアと北米にも点在しています。彼らはそれぞれ地元のセンターに所属し、複雑な階層システムにうまくとけ込んで活動しています。このシステムが、世界に活動が広がっても会員を一つの教義の下に結びつけているのです。活動の拡大に伴い、秀明は、単に純粋さを求めるだけではなく、同時に調和ということも探求するようになってきました。
「秀明」とは「神の光」を意味します。神の光は最高の善性と考えられ、それによって、すべての生命は自然そのままの姿を取り戻すことができるのです。この善性との関係を遮るのが魂の穢れです。一言で言えば、究極の目標とは、この穢れを祓い、魂を清らかにすることなのです。それによって私たちは善に導かれるのです。
しかしながら、秀明自然農法ネットワークの人たちとふれ合っている間、それとは矛盾する純粋でないものに遭遇して私は衝撃を受けたのです。ある農業指導者は、環境問題について内容の深い話をした後で、煙草を吸い、使い捨てタイプのスティックミルクを入れてコーヒーを飲みました。ある生産者は、黒いビニールでマルチングをしたレタスの畝のすぐ脇に立ったまま、人間と同じように土にも心があるということに言及していました。だまされたようには思いませんでしたが、論理的に真っ直ぐ考える西洋的思考の私は、その対照的な姿に矛盾を感じ、戸惑いました。
ぶつかり合う価値観、そして調和
私の戸惑いに対して、何人かの人は、西洋と日本との宗教観の違いとして説明してくれました。彼らは、私は一神教の伝統があるヨーロッパの流れを汲んでおり、白か黒かでとらえるというものの見方をするように育てられたのだと説明してくれました。それに対して、神道という多神教に基づくあり方は、黒も白も、そしてその間にあるあらゆる色も成立するものの見方を生み出したのです。それは様々な真実を調和させ、たとえ本質の異なる真実同士でさえも共存させる包容力があるのです。
一方、私の通訳をしてくれた才気あふれる日系アメリカ人アリス・カニングハムは、別の考え方で説明してくれました。「秀明自然農法ネットワークでは、今自分が目標に向かう道のりのどこにいるかは問題ではないのです。大切なことはただ一つ、その道の上にいて前に進んでいるということだけです。」――と。

「私たちには一つの非常に大きな目標があります
――それは、地上に天国を創るということをたゆまず続けていくこと。
地上に天国が創られるのがいつになるかということは
私たちには分かりません。」
このような調和という概念は、かくも大きな2つの目標――地上に天国を創造すること、そして、魂の穢れを祓い人を善に導くこと――をもつ宗教的哲学にとって欠くことのできないものです。本当に。秀明自然農法ネットワークの代表者10人に、短期と長期で考える目標は何かと尋ねると、通訳の人はこう答えました。「私たちには、一つの非常に大きな目標があります――それは、地上に天国を創るということをたゆまず続けていくこと。地上に天国が創られるのがいつになるかということは私たちには分かりません。」
秀明自然農法とは、究極の目標に向かうための方法の一つなのです。秀明の主要な2つの長期的目標は3つの活動理念である精神性、美、自然力を発展させることによって達成されると説かれているのですが、秀明自然農法はそのうち自然力の発展を担当します。しかし、それゆえに短期的には次の命題を抱えているのです。それは自然のあるがままの姿を理想とすることと、人類の生存の為に自然を利用していくということの調和という問題です。その帰結するところは、自然が自ら行っている営みにできる限り近い栽培システムを創りあげるという、いかようにでも解釈可能な指針になるのです。その範囲内で、自然が自らの力では容易に回復できないようなダメージを与えないようにしながら、できるだけ生産性をあげるようにしているのです。
最初の一歩は、はっきりしています。つまり、土には自然堆肥(落葉や枯れ草から作った堆肥)以外一切の不純物を施さないこと。第三者は、厩肥は自然の中で発生するではないかと主張しますが、農家が利用するような堆積量では自然界のどこにも存在しないと秀明自然農法農家は反論します。殺虫性の毒素蛋白質を生産するBT菌(Bacillus thuringiensis)や硫黄、さらに酢でさえも同じ考えから反対します。秀明自然農法農家にとって、他所から益虫を運んで畑に放つなどとても考えられないことなのです。
その前提となっているのは、自然は既に植物の生育に必要なものはすべて兼ね備えているということです。農家の仕事は、自然の営みが最大限に発揮できるように手助けすることだけです。その目標に向かって、農家は自然に手に入る道具で最も効果的なシステムを創りだそうとするのです。
けれども、ここで注意してもらいたいのは、ここでいう「自然に手に入る道具」というのは土着の生物とか自然の生物だけを意味しているのではないということです。福岡のある農家にとっては、雑草を食べる外来の帰化タニシ(帰化タニシは土着の生物ではない)が「自然に手に入る道具」なのです。そのタニシは1970年代に廃業した養殖場から逃げ出してきたもので、今では有機ではない稲作農家に被害を及ぼしています。広島のある梨栽培農家の場合、家族が農薬を使用している梨園(栽培されている梨は自然の生物ではない)からの花粉が風で飛んできて受粉する可能性がありますが、それが「自然に手に入る道具」なのです。
現実を乗り越えるのは献身の心
当然、自然に手に入る道具は地域や農場によって異なります。たいていの西洋人がなぜこれまで秀明自然農法を十分に理解することができなかったか――という疑問に対する答えがここにあるのです。秀明自然農法は、農業の方法の一つではなく、また手本となるような標準的な技術というようなものも存在しません。稲作において苗作りを始める場合、千葉の農家は育苗用トンネルを使うことを自然の理に反すると考えます。一方、400km北方の岩手では、苗作りにトンネルを欠くことはできないのです。堆肥は、肥料というよりはむしろ土壌の保全のためにあると、常に考えます。しかし、堆肥の作り方や堆肥を施用する時期は、もっぱら農家の個人的な判断に委ねられているのです。秀明自然農法の研究センターや学校、また農業技術を体系的に記述したものなどはありません。出口公一氏(秀明自然農法ネットワーク理事長)は次のように説明しています。「共通することはただ一つ、岡田茂吉氏の哲学を皆で共有し、理想の実現に向けて献身するということだけです。」
――英語版秀明パンフレットより
「『秀明自然農法』では、すべての化学製品と農薬の使用を避け、それよりむしろ、健康な作物を生産する資質を本来備えている清浄な土と種に信頼を寄せます。基本理念は、自然に対して最高の敬意を表し、自然を最優先して尊重すること、そして、自然力を構成する元素――土の状態、太陽の光、雨、風等――といったものと、食物を育てる一人一人の人間との間の深いつながりを理解することです。自然に逆らうのではなく、自然と共に働く農家の姿勢に、その多くが懸かっているのです。」
農家は秀明自然農法の実施経験や観察に基づく知識のやり取りをしますが、たいていの場合、得られた知識を他の農家がそのまま使えるということはないのです。そういった知識は、農家のところに見習いに入って修得することができるのです。しかしながら、そこでも、何をどうするかではなく、どう考えるかということを学ぶのです。なぜなら、ひとたび見習いからひとり立ちして農家となったら、彼の中で変化できるものは必ず変化していくからです。
秀明自然農法の実施に至る人たちの中には、元有機農家や農業経験が皆無の人もいますが、ほとんどの人は以前に化学農法をしていた農家の人たちです。その多くが農薬に脅かされてきていて、それゆえに彼らは無害な方法を求めてきました。それ以外に周りの友人や隣人に感化されて秀明自然農法を始めた人たちもいます。けれども、皆一様にいえることは秀明の哲学を信奉するようになったそのあとに、秀明自然農法にたどりついているということです。何の準備も無しに農薬と肥料をいっぺんに止めたときに農家が受ける打撃は、予想通り甚大なものです。中には、苦しまずに転換期を切り抜ける農家もいますが、大半は初期の絶望的な失敗の時期を耐え忍ぶことになるのです。彼らがやり抜くことができるのは、信仰があるからです。
確かに、信仰が生計を立ててくれるわけではありません。けれども、自分自身の癌の要因となった農薬から我が身を開放してくれる農法に、それに加えて信仰に、農家が出会った時の衝撃を想像してみてください。同じような光景が秀明の癒しの術「浄霊」の持つ奇跡の力に出会って衝撃を受けた状況にも見られます。
農家以外の人が秀明自然農法に懸ける信念は、この農法によって作られた食物を食べるという純粋な体験からも生まれます。食べ物にたいへん重きをおく文化を持つ日本においてさえも、見た目の完璧さに囚われて、食べ物が本来持つ味・風味が次第に犠牲にされてきました。私が盛岡から福岡へと旅する間、秀明自然農法ネットワークの会員たちは、「自分たちのやっている活動が絶対に間違っていないと確信できたのは――何より食べ物の味だったんです。」と皆一様に話してくれました。年配の人たちは、秀明自然農法で昔の懐かしい味を思い出し、若い世代の人たちは、本来の野菜の持つ新しい味を発見するのです。彼らは、自分の体そして口を通じて秀明自然農法は正しいという確信を得るのです。
農家の経済的苦境を支えるのは消費者の積極的支援
しかし、確信だけではまだ秀明自然農法に切り替えてやってくる経済的苦境の埋め合わせをしてはくれません。また、日本という特に失敗を潔しとしない文化においては、試行錯誤に伴う痛みを完全に癒やしてくれるというわけでもありません。けれども、秀明自然農法ネットワークには、これらの世俗的な障害に打ち勝つある種の秘密兵器があるのです。それは、最も有り得そうにない場所――消費者が共に活動するというところ――にあるのです。
秀明自然農法ネットワークにおいては農家だけでなく消費者を含む全員が岡田茂吉氏の教義に専心しています。家庭菜園を持ち、基本理念に沿うやり方で行っている人もたくさんいますが、30万人の会員のほとんどは農家ではなく、都会の生活者です。それにもかかわらず、農業を専門に行っているわけではない多くの人が一役を担っているのです。彼らは、農家が収穫した農産物を購入し、地元CSA活動(CSA=Community Supported Agriculture 地域支援農業:地域の人たちが一体となって農家を支援する活動)の裏方である流通システムを組織しています。さらに彼らは圃場に行って農作業も手伝うのです。

秀明自然農法ネットワークのCSA会員は、皆喜んで農作業を手伝います。たとえ汗まみれになるきつい作業であっても――それが奉仕作業であっても厭いません。彼らにとっては自然順応のライフスタイルを身につけることの方が重要なのです。
秀明自然農法は、地域共同社会をモデルにしています。西田幸生氏(秀明自然農法ネットワーク副理事長)によると、「昔は、田植えや草取りといった農繁期には、近所の人が皆手伝いにやって来てくれました。誰も彼も協力しあっていました。[それと同じように] 秀明自然農法ネットワークのCSA会員は、皆喜んで農作業を手伝います。たとえ汗まみれになるきつい作業であっても――それが奉仕作業であっても厭いません。彼らにとっては自然順応のライフスタイルを身につけることの方が重要なのです。」
農家がこのCSA活動から受ける最も明らかな恩恵は、この活動によって市場が既に提供されているということです。日本には現在1,290人の秀明自然農法実施農家がいますが、秀明自然農法ネットワークの需要に対して供給が十分というわけではありません。けれども、生産量が地元の需要を越える場合には、会員たちが組織するこの流通網のお蔭で、農産物を国内の他の拠点に販売することができます。農家がすすんでこの農法を全面的に実行しようとする限り、その農家の農産物は販売先家庭を保証されているのです。見た目の完璧な農産物が珍重される日本の状況を考えると、これは大変重要なことです。何故なら、スーパーのぴかぴかに磨かれたきれいな農産物を選ぶように習慣づけられた消費者が、多くの場合どんなに味が良くてもあまり見栄えのよくないものを買うとは思えないからです。
それに対して、秀明自然農法ネットワークの会員は、農産物の見た目が完璧でないのは、彼らの考え方に沿ったやり方で生産されたものの証であると受け止めるのです。その考え方こそが鍵なのです――会員は、行動の基本となる根本的なものの考え方の水準が奥深い魂のレベルにまで達しているのです。その考え方、その姿勢に基づき、彼らは自発的に農場に行き、そこで人の手を使って水田の草取りをしたりトマトが熟するまで大切に育てたりするのにどれくらい手間がかかるかを学ぶのです。この学びを自分たちの家庭の台所へ持ち帰り、手に入った食材をどう料理しようかとじっくり考え、またそれぞれの食材がどこから来るのかよく考えます。その学びを食卓へと運び、そこでその食べ物の味はどうか、皿に食べ残しがないかに心を配り気づきを得ます。そしてその気づきを秀明自然農法ネットワークの会合に持ち帰り、他の人たちにも農家や消費者として、またその二役で参加しようと勧めるのです。
その結果、秀明自然農法は単に農法と表現されるものではなく、ましてや食料を供給する一手段でもなくなるのです。むしろ、土から種が育ち、実って食材となり、料理され食事となるまでの一貫した流れの中に息づく他ならぬ「食」そのものといえるのです。さらに、参加者は自分たちのことを、競争市場において独自に立ち回っている存在であると思っているわけではなく、相互に依存し合い複雑に絡み合った織物をなす一本の糸のような存在であると考えています。それは、昔ながらのあり方への回帰であり、とりわけ本能的に食に対してそのような敬意を払っていた文化への回帰です。しかし、単なる回帰ではなく同時に現代に合うようにアレンジもしています。秀明自然農法ネットワークは、21世紀社会が求めるような、革新的で力強い存在です。さらには、農業に対する感謝を忘れた先進国世界における積極的な挑戦でもあります。
その根底にあるのは、秀明自然農法とは単なる農法ではないということです。たとえ周りの農地が農薬にまみれようと、周囲の大地がコンクリートで覆われていく真っ直中にあろうと、それでも私たちは世の中をより良くしていく方法、秀明自然農法という方法で農業を営むことができるという事実に対して確固たる感謝の念を持ち続ける――それこそが秀明自然農法の活動にあるのです。
次回予告:黄島、そして秀明自然農法の達人室田禮治
黄島・・・・・・黄島は、ラジオの選局ダイヤルをぐるぐる回すような感覚で、あちこちを散策して楽しめる場所です。ほら、空に澄み渡る小鳥のさえずり、咲き誇る桜の芳しい香り、そして、そこでは、海の真ん中でしか体験することのないような真の静寂を体験できるのです。
室田禮治・・・・・・「本当に良い土の中では、生物体が微生物によって分解されてなくなってしまうのではなく、分解されてもそこから何か新しいものが創造されていくのです。」室田さんは続けて語ります。「その証拠にキノコが生えています。まるで森の中みたいでしょう。例えれば、牛乳が乳酸菌に分解されても無にならず、ヨーグルトという新しいものが作れられてくるようなものです。」
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